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所謂フランチャイズ経営ていうヤツだ。
夫がやりたがった理由はひとつだけではなかった。 元々大手の企業に勤めていてそのまま行けば順風満帆なサラリーマン生活 を終え、優雅とまではいかなくとも私も手に職をもつ身であれば、ふたりの 年金でそこそこ安泰な老後を迎えられたのではなかったろうかと思う。 しかし、夫はもっともしてはいけないことをやらかして しまい、方向転換を余儀なくされてしまった。◇ ◇ ◇ ◇
私と夫との出会いは大学時代のバイト先だった。 お互い、通っている大学は違っていた。就職先もまったくお互い違う職種だった。
私の母親は結婚後はずっと専業で過ごし、結婚後 数年間を除きずっと父親に不満を持ち続けてきた人。母の口癖は『女も手に職を持たないとだめなのよ』だった。
中学生になった頃から、折に触れ母親からこの呪文を聞かされてきた 私が選んだ職種は看護師だった。 両親が些細なことで喧嘩になると、いつも下手に出て口を閉ざすしかない 母親の姿を見て、母の言い分は充分に理解できた。大学生になった頃、周りの友達たちが
『OLになって素敵な彼を見つけて、結婚したら子育てに専念したいし
旦那さんにも尽くしたいから絶対共働きなんてしないわ』……と口にするのをよく耳にしていたけれど、その頃にはすっかり私の中から
そんな甘い発想は少しも湧いてこなかった。◇モラハラ親父からの差別
私の父親は相変わらずで、家の中では言いたい放題していて
年を重ねても丸くはならず、母はいつも窮屈そうにしている。私には3つ離れた弟がいる。
何故か、いや根っ子には男尊女卑の考えが根強くあるのかも
しれない。とにかく私は父親からいつも厳しくて情け容赦ない言葉を
毎日毎日浴びせかけられてきた。そして不思議なことに同じようなことを言ったりしても
弟が嫌味を言われたりすることは皆無なのだ。 毎日がそんなだったから、私はだんだんと父親を自然と避けるように なっていった。ある日も父親が帰って来た気配で、私はこそこそと自分の部屋に逃げ込んだ。
玄関に入ってきた父親に、ちょうどその様子を見られてしまった
ようで父親が母親に『なんだあいつは、ゴキブリのようにこそこそと』
と発言したのが聞こえてきた。
その言葉に私は絶望し、死にたくなった。 ◇ ◇ ◇ ◇ 私はあなたの娘になんて産まれてきたくはなかった。 勝手に産んだのは…子作りしたのは…あんただろう。なのにこの仕打ち、あんまりじゃあないか。
わたしは慟哭した。すると母親の泣き叫ぶような声が聞こえてきた。
「何言ってんのよ!
そんなふうにさせてるのは一体どこの誰なの!果歩も祐一郎もふたりとも私たちの子供なのよ。
なんでいつもいつも果歩にはきついことばかり言うのよ。 同じにしてください。同じ扱いにしてください。 自分の娘のことをゴキブリだなんて、あんまりだわ」 私は母の放った言葉にも悲しかった。 私が弟と父親から差別を受けていることを表だって つまびらかにされてしまったから。ここまでつまびらかにされてしまったら、もはや自分で
今まで必死で『自分の気のせい』と目を背けていた現実を、 見ないわけにはいかなくなったじゃないか。涙が零れた。
泣いていたら父親の反撃の言葉が聞こえてきた。
いつもは黙って引き下がるだけの母親が、今夜は一歩も
引かなかったことから、父親の言い方には少しキョドッてる ような節が見受けられた。 母の正論に向かう正当な…全うな言葉などあろうはずもなく、 父親が口にできたのはくだらない陳腐な…だがもっとも夫婦にとって 卑怯な言葉だった。 「じゃあ、離婚するか!」この呪文で私の母親の口を封じ込めたのだ。
この時高校生だった私は、心《しん》から何があっても 自分で自分を支えることのできる仕事を得るのだと決心した。 その日を堺に私の心にも母の心にもひとつの大きな杭が 大きく深く打ち込まれのだと思う。 私と母にできる唯一のこと、それは 決して父親に自分達の大切な心… 大事な気持ち…それらを向けることは一切しない、ということだった。
それは心からのやさしさであったり…気遣いであったり… 言ってみれば、真心というヤツだ。目には見えないものだけど、とても大事なものだ。
どうしようか。 シラを切り通しそうな夫に対して、この後どうやって問い詰めようか。 どうすれば……いい? クアラルンプールから帰国後、私は子育ても心在らずでずっとこの件に頭を悩ませ続けていた。 そんな時、以前読んだ本の中に書かれていたことがぶわっといきなり閃いたのだった。 著者も旦那さんに浮気をされたことがあり、それをコミックにしていた本だ。 Kindle版を購入していた私は再度読み直してみた。 そうだ、これだっ……これでいこう。 ひとまずの方向性を見出した。 あとはどれだけ女優になれるか……なのだが、如何せん今のところFace to Faceで話すという状況ではなく、女優にならなくてもいいみたい。 女優になるのは、次回に持ち越しね。 うえたあゆみさんの「カマかけたらクロでした」というコミックエッセイにも書いてあったように私も盛大なカマをかけてやろう。 まぁカマったって、あれだけの証拠があるので100%クロ認定の上でのことなんだけどね。 シラを切るってことは、まだ私との離婚は考えてないってことよね? だけども、カマをかけて夫が居直った場合のことも考えておかないといけない。 これがまた私にとって難しい問題というか、決断というか。 商社マンとして外国に赴任して1年もしないうちに……きっとあっちに行って半年も経たないうちっていうヤツだ。 今になっていろいろネットサーフィンして知ったこと……。 特に東南アジアに赴任になると現地妻というか、あちらには若くてぴちぴちした|女性《子》が金蔓になる日本人男性をモノにしようと手ぐすね引いて待ってるのだとか。 自分と家族の生活がかかってるから、したたかにもなるし男性側が本気になった場合、別れさすのは難しいらしい。 私の思い描いていた総合商社──そしてそこに勤める若き戦士たちの姿は、勇者で素敵な企業戦士だった。 TV番組プロフェッショナルの中の彼らはまさしく素敵な若き戦士だった。 しかしながら負の闇の部分を就職時に知っていたなら、夫に商社は止めて欲しいとお願いしていたことだろう。 赴任先での……赴任期間限定の現地妻のことなど目を瞑ってしまえばいいのだろうか。私は器の小さい女なんだろうか。 何度自問自答してみても、答えはNOだった。 鷹揚に構えて
帰国した翌日、旅の疲れも取れ頭もすっきりクリーンになったところで異国の地にいる夫にメールを送った。 日曜日だから、ちょうどよかった。 それとも女と一緒でニャンニャンするのに忙しいだろうか! ええい、ままよっ! メール投下。『休日だけど、今何してる? いろいろと忙しい? 私からの家族一緒にそちらで暮らす提案がこれといった理由もなくあなたから一蹴されて、腑に落ちなくて……それであなたに会いに今回行ったんだけど……その理由が分かっちゃったよぉ~? フフン~』 さてさて、すぐに返信がくるだろうか。 流石にまだ午前中だからか、思ったより早く返信があった。『突然訪ねて来て俺を驚かせたと思ったら、今度は日本から訳ありなメールで俺を驚かせるんだ? 言ってる意味がわからん! マジわからんわ。何それ?』『そうなの? おかしいなぁ~。 悲しすぐるぅ(´;ω;`) 私は顔文字を付けて送信した。『なんか、離れてるからいろいろ考えすぎるんだよ。 前も言ったけど、暮れには帰るからね……絶対。 だからあんまりあれこれ悩まないように! 』 悩まないように? ナヤマナイヨウニ? 夫に浮気相手ができて、それを知って悩まない妻がいたらお目にかかりたいもんじゃ、いや(オチツクノヨ)……お目にかかりたいもんだわ。『現地妻……東南アジアに単身赴任する人って現地妻作るのはよくあることなの? 』 返信が止まった。 そりゃあそうだ。『ねぇ、あなたの周りに現地妻作ってトラブル起こしてる人いないの? 』『さぁ、どうだろう。 まだこちらに赴任してきて1年も経ってないから』『そっか、そうだよねぇ? 自分のことでいっぱいいっぱいで人のことなんて興味もないよね?」『なんか、変だよ? どうしちゃったんだ? 』『変なのはあなたよ。 知ってるのよ……わたし』『なにを?』『何だろう?』」『押し問答したいの? まさかね』『あなた、浮気してるでしょ? 』『してない』『とぼけても無駄よ。 証拠押さえてるからね。 取りあえず、今の相手と別れてください』『バカだなぁ。 別れるもなにも、そんな相手いないんだから』 別れて下さい、私はそうあなたにお願いしています。 このこと、忘れないで。じゃあ』『君の勘ぐり過ぎだから、落ち着
夫の暮らすコンドミニアムと呼ばれている部屋の内装や家具はかなりグレードの高いものに見える。 洗練されている中にも東南アジアを感じさせる応接間といったところだろうか。 全体的には茶系でまとめられている。 ウッディなローテーブルは真ん中がガラス張りになっていて、3脚ある椅子は背中部分から扇形に手を置けるところまで繋げられており、重厚な作りになっている。 しかも、片側には少し離して別色で革張りオフホワイトの3人掛けほどの椅子があるのだ。 すぐ後ろの壁の色が……明るめの緑とは、ちょっと引いた。 どこかのタワーが描かれている絵まで掛けられている。 驚いた。 こんなりっぱな応接間セット、どんな客があるというのだろう。 寝に帰るだけの住宅ではないのか? なんていう思いが湧いた。 ともあれ、応接間はそれなりに調和のとれた美しい部屋だった。 会社の借り上げ物件なので、たまたま良い部屋が当たったのかもしれない。 そしてひとたびプライベートルームに目を向けると…… 夫の部屋の至る所に、その証拠と思われる残骸が残されていた。 風呂場の蓋を取って排水溝を覗いたら、長い髪の毛が何本も。 昨夜かその前か直近で風呂だかシャワーだか使ってシャンプーしたであろう女の髪の毛がわんさか。 その残骸が残っていた。 だらしない女性なのだろう。 自分の洗い終えた後の、シャンプーして頭部から抜けた残骸の処理もしないでいられるのだから。 自分の家じゃないんだよ? 恋人きどりだか愛人きどりだか知らないけどさぁ、他所様《よそさま》の家だろうに。 髪の毛を見つけた後、洗面台の下を開けて、見た。 夫が無造作に隠したであろう、女の歯ブラシとコップとブラシがあった。 そして生理用品とスキンまであったさ。 どういうこと? まったくぅ、頭きた。 夫が会社に行っててよかったよ。 いたら、ぜったい過呼吸起こしながら絶叫してたわ。 私はそれらを画像に撮った。 いろいろと証拠にできそうなものは画像に撮った。 今は頭が沸騰して、上手く働かない。 なので、こちらにいる間にできることをと動いた。 来なくていいと言う夫の言葉に感じた違和感。 不安に思っていたことは、現実のものとなって私の前に現れた。 ある、とある芸人が綺麗な女優と結婚していたことが
夫の赴任先は東南アジア。 降り立ったのは近代的としか形容のしようのないクアラルンプール国際空港。 すごい空港の造りや雰囲気にも驚かされたけれど、市内を走るタクシーから 眺める景色にも驚きを隠せなかった。 まさか自分の暮らす街よりも洗練されていて遥かに近代的で都会的だなんて、 私の想像していた東南アジアという固定概念が大きく崩れ去った瞬間だった。 ただ、どこの国でもありがちな田舎街のイメージが大き過ぎただけのこと なんだろう。 そりゃあ国際空港と名が付くのだからこんなものよと、思い直したのだった。 近代的な大都会と熱帯の大自然が融合するマレーシア・クアラルンプール。 この街だって、ちょっと高層ビル群を離れると、私の脳内に存在するイメージ の街並みである何かしら裏町的で庶民的なお店や古い家々が立ち並ぶ光景が 見られるんじゃないかしら。 空港から駅員に聞いてチケットを買い、エアトレインに乗って入国審査の場所 に。 待つこと20分、それからKLセントラル駅までの往復チケットを買い、乗車する こと30分。 駅からは流石に公共の乗り物は止めて夫の暮らす家までは タクシーを使うことにした。 30分ほどで夫の住むコンドミニアムとかいう住居にようよう着いた。 朝一の便で飛んで来て、15時30分ちょい過ぎを時計の針が指している。 はぁ、家を目の前にして急に緊張の糸が切れたのか、どっと疲れを感じた。 なんか、想像していた住居ではなかった。 私はなんとなく小ぶりの小さな一軒家か二階建てで長屋風になっている テラスハウスのようなものを想像していたのだ。 だが日本でいうところの高層マンションだった。 周りも軒並み高層ビルだらけだ。 ◇ ◇ ◇ ◇ 突然の来訪に、夫は全身で驚いた。 こちらがビビるほどに。 そして私にしてみればどうして? と思うようなゆがんだ笑顔での出迎え だった。 それは必死で普通を繕おうとしているのだけれど、心を……どうしても 平常心に戻すことができず困惑している様を隠しきれていない人の表情 だった。 だから、またひやりとした正体のしれないモノが、私の胸の中を襲った。 メールで感じたものがここにもあったのだ。 一体その正体はなんなのか?
夫が我が家から居なくなると父親までもが母と連れ立って娘の顔を見に来るようになった。 ふっふ~ん、可愛く思えなかった娘でも、孫は違うんだぁ~なんて斜めから父親のその姿を呆れ顔で見ていた。 そんな日々を過ごす中……娘が3ヶ月めを迎え100日のお食い初めも終えた頃私は突然閃いた。 娘の数種類ある予防接種のことなどもあるから、まだ決定はできないけど、育休3年をまるまる取ることにして行けるだけ、夫の住む国に行こうかと。 そんな風に思ったりしてみたものの、治安の悪さを考えると幼子を連れて行くのはどうなんだろうと不安にかられたりやはり夫と離れてしまったことで、いろいろと考え込んでしまうことが増えた。 月日は流れ…… そしていろいろ悩んで出した私の結論それは……娘が1才を迎える頃に1度向こうに行ってとにかく生活してみる、ということ。 案外それこそ、案ずるより産むが易しとなればそのままあちらでの生活を続ける。 いろいろとあちこち支障が出てくればこちらに帰ってくる。 夫に対しても娘に対しても自分のできうる限りの努力で家族として一緒にいられるように、そして少しでもサポートできるようにと、それが私の願いだった。 そう決心すると少し気持ちが前向きになり、心が軽くなった。 頃は春先、娘と共に寒い冬をちょっぴり寂しい気持ちを抱えて過ごし、ようやく季節も穏やかで暖かくなりはじめた頃のこと。 ◇ ◇ ◇ ◇ 夏も終わり来月には娘の1才の誕生日を迎えよういう頃、夫へのメールにどれだけいられるか分からないけれど、できるだけ家族で暮らせるよう娘が1才を迎えたら娘を連れてそちらに行こうかと思ってる旨を書いて送信した。 一人暮らしで寂しく不便な生活を過ごしている夫はさぞかし喜ぶだろうな、なんてちょっぴりうきうきした気分で夫の返信を待った。 しかし待てど暮らせど……その日返信はなかった。 メールを覗く暇も無いほど忙しいのだろうか! 夫からの返信は私が送信した日から3日も過ぎてのことだった。 普段の何気ないメールでもこんなに時間をおいて返ってきたことがなく、なんで? と訳の分からない不安に包まれつつ私はメールを開いた。『今年の正月は赴任早々で帰国できなかったけど、来年の正月は暮れから帰国して必ず家族でお祝いして新
私と夫は大学卒業後それぞれ守備良く各々の希望する職についた。 夫は誰が聞いても知っている大手商社へ、そして私は市の試験を受けて行政保健師となった。 大学を受ける時、看護師を目指して勉強していたし、入学してからも私の目標は看護師だった。 だが就活していくうちに保健師に魅力を感じるようになっていった。 この仕事は土日祝日休みで定時帰りできることが多く、ほかの看護職に比べるとワークライフバランスが安定しやすいため、働きやすいというメリットがあったから。 結婚後も働きたいと思っていた自分にとっては、実に願ったり叶ったりで、私は3年になると早めの就活にとりかかった。保健師になるには看護師国家資格と、更に保健師の国家資格も必要になる。そのため、私はそれまでも頑張ってはいたけれど、残りの2年間はより一層望むべき目的に向かって勉強に邁進した。 私にとって就活は、仕事を決める上で細く長く働けることが非常に重要だった。 保健師はことのほか人気があって、保健師の資格を取得していても保健師として就職できるかどうか最後のさいごまで安心できないでいた。 そのため、合格の知らせをうけた時にはどんなに嬉しかったことか。 私に稼ぎがあればこの先万が一、母親が父親と別れたいと言った時力になってあげられる。 仕事(から得られる収入)はどんなことがあっても自分を守ってくれる。 お金さえあれば大抵のことは解決できるものなのだと、還暦を迎えた人間が過去を振り返り悟るようなそんな考えを──まだ22才の青臭い女子であった自分は、その頃すでに持っていた。 あって欲しくはないけれど、未来の夫と決別するような日が来たとしても、仕事が私を守ってくれる……私やまだ見ぬ子供たちの大きな保険になる……そういったことを充分理解していた。 健康で働ける身体があれば……そして労働の対価に見合う揺るぎない職があれば…… 人生は恐れるに足らず、そんな強い気持ちで私は大人として社会に船出した。◇~深山康文と果歩の結婚生活 私たちは大学2年の頃から付き合っていて、お互いの就活が上手くいけば職場に慣れる半年から1年後を目処に入籍して一緒に暮らそうと約束していた。 そして約束通り働き出して半年後、私たちは入籍して夫婦になった。 早めの出産と子育てをと考えていた私